骨と皮

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熊の場所

山で熊に遭遇し
車まで逃げてきたが
このまま恐怖を抱いたまま下山したら
今後山へ入ることが恐ろしくなってしまう
 
だから
危険を承知で
再び熊のいる場所まで
戻る決意をした男
 
恐怖を消し去るためには
恐怖の源へと、すぐに帰らなくてはいけない
 
10年ほど前に
友達の勧めで読んだ舞城王太郎の「熊の場所
なぜか今日、頭にふと浮かんで
kindleで買ってしまった
 
細かなストーリーは忘れてたけど
「恐怖の源へとすぐに戻る」
という部分は心に残っていた作品
 
恐いよね
でも、逃げたらもっと恐くなる
わかっちゃいるけど、なかなか、、、ね。

人間の本性

言葉では何とでも言える
人を案じるフリをして
ウソをつく人も多い
 
そして本音というのは
わからないもの
 
人間は複雑で
ひとりの中に色んな物を抱えてるから
「あなたの本性」なんてものを
簡単に一刀両断にはできないもの
 
心の中には
誰しもが天使と悪魔を飼っている
内面は無限だから
言葉では捉えきれない
 
社会で生きていると
その人を判断しないといけない
場面に出くわす
 
内面は無限だから判断できない
判断できるのは
その人の行動だけ
 
言葉は信じられない
 
何をどのように
行っているのか
 
そんなセリフがあったな
「人間の本性は、内面ではなく行動で示される」

リトマス紙

小説を読めるかどうかが
自分の心に
余裕があるかないかを測る
ひとつの基準
リトマス紙のようなものになっている
 
時間はあっても
余裕がないというときはよくある
 
頭に詰め込むタイプの
実用書のような本ばかりを読んでしまう
 
効率とスピードをばかりを重視して
なんでも「消費」してしまうのだ
 
心で感じ大きく広がるような
体験をもたらしてくれる
豊かな世界観を持った作品は
「消費」される類のものではないし
頭でっかちになってるときは
文字が目には入っていても
心まで届かないというときがある
 
そんなときは
詩集を読むようにしている
 
一遍の短い言葉の組み合わせ
響きとリズムに
閉じていた扉が反応して開き出す
 
どれだけ忙しくても
余裕がなくても
一日の中にそうした時間をつくることを
大切にしていたい

初心忘れるべからず

仕事で新人教育
新人ちゃんの「わからない」に
 
教える側が新人ちゃんの視点に
立てるかどうか
相手に成りきって
周りを見渡せるか
 
まっさらな視点で慣習化した自分の業務を
見つめることができるかどうか
それを言語化して伝えることができるかどうか
 
実務バリバリにできる
ベテランスタッフが
優秀な教育者になれるとは限らないし
むしろその逆のパターンをよく見て来た
 
「あいつは言ってもわからない」
「なんでこんな事ができないんだ」
 
自分が新人だった頃を
思い出すことができないのか
あるいは
できない自分を否定して
自分は成長してきたという自負から
かつての自分を投影して
否定的な振舞をするのか
 
初心忘るべからずというのは
 
初めての物事に取り組むときの
純粋な気持ちを忘れるなよって
意味のほかに
 
自分が教える側になったときに
相手の気持ちを汲み取り
その視点に立てるかどうかの
忘れてはいけない
大切な心構えの話だな

猟師レベル1

体長120cm

体重およそ45キロ

オスのイノシシ
 
猟師免許を取得した
友達の初の獲物
 
止め刺し〜解体まで
一緒に立ち合い
 
なにせ初めてのことだから
ベテラン猟師2人が
助けに来て
作業をリードしてくれた
 
止め刺し(心臓を突いて息の根を止める)も
ベテランがえいっとひと突き
イノシシの断末魔
だんだんと目から光が失われていき
荒い呼吸が少しずつ力を無くしていく
 
その様子を傍らでじっと眺めている
随分と長い時間に感じていた
 
実際、長い時間だったのかもしれない
心臓を突かれても
即死するわけじゃないんだな
意識はあるのだろうか?
ぼんやりとそんなことを考えてた
 
頭の芯の部分に
ジーンと痺れたような感覚が残る
 
こと切れた後は
山から道路まで引きずり出し
川でマダニを洗い落とし〜解体
 
皮を剥がし
腹を割いて内蔵を取り出す
骨を断つ、肉を部位ごとに切り分ける
 
内蔵を入れた袋を運ぶ
まだ、あたたかい
 
山に入ってから全ての作業を終えるのに
およそ3時間
 
「作業覚えて次からは自分でやるように」
とベテランより100回ほど言われる
 
何であれ初めての体験は
一生に一度だけ
 
友人の記念すべき
猟師としての第一歩目に立ち合えて
幸運だった

収穫の秋

限られた時間を利用して
仲間と共に
耕作放棄地を再生して
米づくり
 
極力機械を頼らず
(お金もないので)
田植えは、手植え
稲刈りは、手刈り
 
農家の仲間に
導いてもらいながら
3年目
 
身体がどう動けばいいのかを
毎年少しずつ学んでくれているのを感じる
1年目より2年目
2年目より3年目
 
目に映る景色も
最初は気づけなかった細部の奥行に
少しずつ気づけるようになって来た
 
それぞれの稲の生育具合の違いや
場を包む「雰囲気」のようなもの
 
曇っていた知覚の窓に
少しずつ光が差し込むようだ
 
使わない感覚は衰えていく
 
テクノロジーの進化によって
実現した「スピードと効率化」は
私たちの感じる能力を退化させた
そんなことを考える
 
米づくりは
私たちが外注してしまった
暮らしを取り戻す
実践その1
 
いざ扉を開けて踏み込むと
エネルギーの問題や
失われた共同体
社会の抱える課題に
正面から直面することになる
 
厳しい現実に
頭を抱えたくなるけど
 
同じ時代
あちらこちらで
同じように行動している
仲間がいることも知ることができた
 
時間は本当に
残されていないかもしれない
 
でも
動くことで感じられる
希望もある
 
それが今は支えになっている

グラデーション

白か黒かではなくて
白から黒までの
グラデーションを生きている
 
複雑で理解できないものを
純化して答えを出さず
複雑なまま、ひとまず受け入れる
心の構えを持っていたい
 
極端な答えは
そうではない可能性まで
切り捨ててしまう
 
情報の洪水に飲み込まれて
社会の複雑さが眼前に迫ると
不安に絡み取られて
安心できる大きな答えを求めてしまう
 
声の大きな人間の声に
拠り所を求めてしまうのだ
 
不安が広がるほどに
あたりは騒がしく
耳を塞ぎたくなる
 
その騒音の最中から
自分の声と自分の言葉で
自分自身の輪郭を描き出す
 
今は こんな感じだ
明日はまた明日の僕が
輪郭となって浮かび上がる
 
変化は常のこと
不確かで計算の及ばない
グラデーションの海を
泳いだり
浮かんだり
潜ったり
波にのまれたり
 
ぷかぷかと
クラゲのように生きていく