骨と皮

考えた事 思った事 全部

たとえ仮初めの姿なれども

呆れ果てる出来事が起きた

自分がその場所にいることが

恥ずかしくなってきた

 

どんな感情でも

大きく気持ちが動くときは

大切にしたいから

こうして記録しておく

 

一気に気持ちが引いていく

アホらしさ

寝て起きたら忘れてるだろうか?

 

気狂いに囲まれると

たまに間違ってるのは自分なのでは?と

わからなくなるよ

 

僕も含めて

正気の人間なんていないのかもしれない

扉の奥には何がある?

日本と書いて

ニホンだったり

ニッポンだったりする

 

なんの事か分かるなら

どっちでもいいよという

 

曖昧なんだけど

言葉より言葉の意味を大切にする

言葉以前の感覚へのアンテナ

それが理解の扉をノックするのに

 

どっちなのかハッキリしてと

扉の前で騒ぎ立てるばかりで

扉を覗き込むことも

それが扉だとも気づかない

 

そんな人間がそこらで幅を効かせ

そんな社会が民主制を採用するなら

バカがバカの代表を選んで統治させ

バカが社会を回すことになる

 

とっくにそうなっていたんだね

 

 

重力

重力は確かに存在しているのに

未だにその謎は解明されていない

世界は不思議だらけだ

 

気にしなければ

気にならない

気にしだすと

気になることばかり

 

気にしだすと

気にしている人に出会う

 

出会う人には

出会うべくして出会うものだと

いちいち大袈裟に受け止める

「なんとなく」も「たまたま」も

見えざる手による導きによって

定められているのかもしれない

 

僕らはみんなハミ出てる

どんなに良いと思える
制度や法を作っても
そこからこぼれ落ちる人は必ずいる
なぜなら
私たちは多様な存在だから
 
誰かにとって良い制度は
誰かにとっては苦しいもの
 
そして何より
そもそも私達の存在が
人のつくることのできる
法や制度を越えているから
 
全てを誰かの決めたワクに
押し込めることなんて
できやしないよ
 
それが前提だったハズなのに
 
最近じゃ
少しハミ出たくらいで
存在まるごと否定みたいな
余裕のない空気を感じる
 
息苦しい
 
あちこちに
漂白剤を撒き散らして
真っ白にしようとしてるみたい
歪んだ潔癖の社会
気持ち悪いぜ
 
押し込めて
ハミ出た部分を切るんじゃなくて
 
自分という全体が
社会の外までどうしようもなく
ハミ出て存在してるんだ
そのことを認めよう
 
心は
社会やルールなんてものより
ずっと大きい
 
今日
1日を過ごす中で
何を感じて生きただろうか?
自問自答する
 
いつも心から始まって
心へ戻ってくる
 
脱色されて
栄養スカスカの
味気ない真っ白な社会の中で
 
心は彩りを増していく
そうありたい

お金と暮らし

東南アジアで
日本人のハウスキーパーが人気だとか
オーストラリアで働いて月収何十万とか
 
日本から外国へ出稼ぎに行く話題を
見かけるようになった
 
今後も日本がかつてのような
経済成長を遂げる可能性は無に等しく
貧乏国家へまっしぐら
転落先進国である
 
お金は大切だが
自分自身の暮らしを振り返る
良い機会とも言えるだろう
毎日の生活を見つめてみよう
 
かつてはお金は無くとも
生きていけたのに
今は、お金が無いと生きていけないと言う
 
なぜか?
 
暮らしを外注したから
 
かつては人と人の関係性で賄っていた
「困ったときはお互い様」のネットワークを
金で買える関係性に置き換えたから
 
煩わしい人間関係を捨てて
自分たちの力で生きていく術を
社会システムに金を払って外注するように
なってしまったから
 
その中には
スーパーで食物を買うこと
電気、ガスを買うこと
水道代を払うこと
そんな物まで含まれるだろう
 
金があるときは
一見すると上手く回っているように見える
その間にどんどんと
自分たちの暮らしの知恵を忘れて
ドライな関係性だけが残り
手を差し伸べることも
差し伸べられることもない
 
今とこれからは
金もない
いざって時に支え合える仲間もいない
そんな社会
さあ、どうする? 
 
お金、経済以外に
人生の充実を測れるモノサシを
心に持たなくてはいけない
 
貧乏よりも孤立が問題だ
 
何があれば
自分は幸せを感じられるのか?
何に自分は価値を感じるのか?
自分自身の勉強をして
そこから人と繋がって
もういちどやり直し
 
暮らしを外注しないこと
 
失ったものは
新しくもう一度作れば良い
前よりも良いと信じられる形で

成人の日

家の真裏の小学校に
晴れ着を着た若い子達が集まっている
そうか、今日は成人の日か
 
「今日から大人です」と
社会からの要請で人生のステージを
決定されるのはどんな気分だろう?
 
僕は成人式には行かなかった
どうにも関心が持てなくて
後悔するぞと言う人も居たが
今のところ後悔とやらが訪れる気配はない
 
キラキラとした新成人を横目に通り過ぎる
幸いにして
若さを羨んだり、若さを取り戻したいという
憧れもない
今の自分でいることが僕は好きだ
これからもそうで在りたい
 
ネイティブアメリカンのビジョンクエストや
民族によってはタトゥーを入れたり
割礼や、勇気を示すための
子どもから大人への通過儀礼のある
社会と違って現代日本社会は
とりえあえず生きさえいれば「大人」になる。
それは自分で試練を乗り越えて
勝ち取ったものではなく、
エスカレータに乗ってたら通り過ぎました。
みたいな類いのオートマチックなラベル貼りに感じられる。
大した意味など、ない
 
だから、通過儀礼がない分
自分自身により多くを求めていく
必要があると思う
 
通過儀礼はないが
日々生きるということそれ自体が
今は息苦しい社会だと感じるから
毎日を乗り越えることが試練とも言える
 
若さへの憧れはないが
希望はいつも若さの中にあると思う
 
キラキラした新成人を見て
必要以上にでしゃばらず
これからを歩んでいく若い子達の
踏み台くらいにはなれるような
人生でありたい

ままならない心

誕生日なんかで占ったりして
あなたって「こういう人」って言われたりして
それを信じるかどうかは別として
 
誰しも持って生まれた個性は確かにあって
それは大体、ままならないものだと思う
 
そんな、ままならない自分に振り回されて
時々嫌になったりうんざりしたりする
 
若いころは
そんな自分を変えようと
抵抗したり
そうじゃない振舞をわざとしてみたりする
 
今はどうだろうか?
今はあまり抵抗をしなくなった
 
どうしようもない自分はそのままで
そんな自分との付き合い方を覚えて来たとも言える
 
人の成長ってなんだろう?
 
ままならない
どうしようもない自分を抱えたまま
抵抗しないで受け入れて
自分との付き合い方が
だんだんと上手くなること
 
自分自身にそれを認めたように
他人のそれも認めて
赦すこと
理解と優しさを示すこと
 
どこで何してても
きっと根っこは変わらない