骨と皮

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例えばこんな夜に

友人が闘病生活と
個人史を綴っていたサイトが
閉鎖されていた
ご遺族が手続きをされたのだろうか
 
友が生きた記録を
感じる場所が無くなってしまい
寂しい
 
しかし
心の中を探してみると
友の言葉が
遺されていることに気づく
 
そうか
肉体は死んでも
精神はこのようにして
心を住処として
息衝いているのだな
 
目を閉じて
意識を向ければ
扉は開いて
また会える
 
例えばこんな夜に

穏やかな日常

呼吸をいつもより
ゆっくりとしてみる
しばらく、じっとしてみる
 
いつものオフィス
月曜の朝
 
電話が鳴っている
話し声が聞こえる
キーボードを叩く音
窓の外を車が通り過ぎる音
 
いろんな音が聞こえている
 
身体の感覚に意識を向けてみる
肩のあたりに緊張がある
耳の後ろ、頭の後ろに緊張がある
 
聞こえてくる全ての音に
無意識に身体は反応している
 
音が飛んできて身体にぶつかるような
「硬い」イメージを変えてみる
身体はまるで水みたいにやわらかく
投げ入れられた音も光も
要らない物はすり抜けていく
 
肩の緊張、耳、頭の後ろの緊張を手放す
 
頭の中はどうだろう?
外の騒がしさにつられて
頭の中も騒がしくなっていないか?
 
いらない思考も手放す
 
心の中はどうだろう?
不安や焦りに
棲家を与えていないだろうか?
 
いらない感情も手放す
 
外は騒がしくても
内は静かになってくる
 
心地よさを感じれたら成功だ
 
今日一日何をしたか?
別に何もしなくたっていいじゃないか
 
昼休みにぼんやりと雲をながめてる
空っぽでいて
満たされていく
 
今日も日常が続いている

埋め合わせる

ポッカリ空いた心の穴に
とりあえず「詰め物」でも入れて
埋めようとする
 
人の心はそんな風に動くときがある
 
とりあえず
一時はさみしさと不安が遠のく
そう思い込む
 
穴が開いてることに無自覚だと
穴を「詰め物」で埋めようとしてることも
自覚できない
 
自覚せずに埋め合わせると
とりあえず穴を塞いだ様に見える
「詰め物」に依存する危険がある
 
それが無いとダメだと感じてしまう危険
あるいは「誰か」に依存して
この人がいないとダメだという危険
 
所詮は「詰め物」に過ぎないのにね
勘違いをしてしまうんだ
 
開いた穴から吹き込んだ
冷たい悲しみと寂しさにさらされて
むき出しの心が身を震わせる
とっさに穴を塞ごうと
外へ飛び出して
「詰め物」を探してしまう
あるいは塞いでくれる
「誰か」を
 
本当はその時向かうべきは
外ではなく内側だ
開いた穴のまっただ中をのぞき込み
絡まった原因の根っこを見つけて
自分自身の勉強をするときだ
 
穴が空いたのはなぜか?
「詰め物」で蓋をすると
その下にある原因の根っこに気づけない
悲しみと不安は広がり続ける
 
辛い
何もかも投げ出したいようなときに
気力を出して向き合わないといけないなんて
 
でも
それに気づくまで、何度でも人は繰り返す
何度でも
何度でも

モブサイコ

モブサイコのアニメ3期がもうすぐ始まる
とても楽しみである
 
ワンパンマンが好きだから
同じ作者のモブサイコも見てみよっかなって
軽い気持ちで見はじめて
1期の最初4話くらいはちょっと微妙かなって感想だったけど
話が進むにつれてどんどんとハマってしまった
 
今ではワンパンマンより
モブサイコのほうが好きになり
続きが気になって
原作のマンガも買ってしまった
番外編のREGENも買ってしまった
 
この作品の何に惹かれるのだろう?
 
特別な何者かになることを目指すのではなく
ありのままの自分を認めて生きること
その上で人と関わり成長していくこと
 
モブが周囲に良い影響を与えているのは
誰よりも優れた超能力を
持っているからではなくて
誰よりも純粋で
誰よりも倫理的な存在だから
 
ままならない自分を抱えたままに
現実とまっすぐ向き合う姿は
周囲のキャラクターに良い影響を与えて
それがまたモブの成長へと
フィードバックされる
正の循環
 
さえない自分が異世界に転生して
超優秀な特別な能力を発揮して大活躍
そんな作品が多い昨今は
人間の本質ではなく
スペック重視の時代の空気を感じさせる
 
今よりもっといい見た目に生まれて
今よりもっと賢く生まれて
もっと自分に力があれば
もっと自分に金があれば
もっと、もっと・・・
 
果たしてそれで幸せになれるのだろうか?
モブサイコは
はっきりとノーを突きつける
 
ストーリーが進むにつれて
人間としての正しさ、幸せって
こういうことだよね
そんな風に思わずにはいられない
自分もそんな風に生きていたいと
思わせられる
 
コメディな作風と独特の
ユルいアートワークの背後から
人として生まれて生きていくとは
どういうことか
そんな本質論がスッと心に投げかけられて
グサッと刺さる
 
制作会社変わって作画のクオリティ落ちたりしないか心配だったけど
1,2期から引き続きボンズが担当
素晴らしいアニメーションにも期待大
楽しみだな~

無駄を愛する

現代人が一日に接している情報量は
江戸時代の一年分
平安時代の一生分などとも言われている
 
インターネットが全てを加速した
最近じゃ映画を倍速で見る人や
ショート動画なんかも隆盛だ
長い文を読めなくなっている人も多いと聞く
 
言葉の背景まで読み取る力を無くし
表面的な言葉の印象で脊椎反射
答えのないものに
短絡的な解答を出して
消化したつもりになっている
 
僕も気をつけてはいるが
ついつい、ネット記事の見出しだけ見て
パッと反応しちゃったりする
 
何かをネットで調べると
答えらしきものが出てくることはある
でもそれで
何かを知ったことになるのだろうか?
 
薄っぺらい知識は身につくかもしれない
しかし、知恵は身につかない
知恵には体験と感情が伴うものだ
 
情報に囲まれれば囲まれるほど
私たちは洪水に飲み込まれるように
自分自身を見失ってしまう
 
一つ一つの情報を自分で消化する前に
次々と新しい情報が流れ込んで
頭がいっぱいになってしまい
考えることができなくなる
思考停止というやつだ
 
するとどこからともなく
混沌の中から物知り顔で
君の代わりに私が考えた答えを
わかりやすく教えてあげようという
輩が現れる
 
ソクラテスがボコボコにした
ソフィストみたいな奴等だ
 
混乱は不安を生む
安心のために答えを探す
それ自体は悪いことじゃない
ただ全ての答えは
(仮)状態ってことが大切だ
他人の言ってることならなおさら、だ
 
今一度、ソクラテスまで立返ろう
僕たちは「本当は何も知らない」
これが全ての前提だ
 
偉大な哲学者イエス・キリスト
こうも言っている
「たとえ全てを知っていたとしても
己に欠けるものは
全てのところに欠けている」
 
外からの情報の洪水で
自分の頭と心を削り取られてはいけない
スピードと効率?確かに時間は大切だ
しかし、節約した時間の余りを
一体何に使うのか?
 
社会で生きる事は
洪水の只中で
己を削り取られ続けているようなものだ
 
高度にシステム化された社会は
己から名前と顔を剥ぎ取って
人間をただの歯車にしてしまう
社会の洪水に削られて
欠けてしまった己を取り戻す時間が必要だ
 
高速に大量に消費しないこと
それとは真逆のゆっくりで
計算不能なほんの一握りの物事で
場を満たしていく
その時間を作ること
何もしないことをするという事
 
肉体と精神が静まると
魂がその顔を覗かせる
欠けていた己の回復だ
 
僕達は何も知らない
答えは全て最後にしか解らない
そのうえで出会い
お互いに手探りで
その時々に信じたものをぶつけ合い
色んなことを感じながら考えながら
知恵を身につけていく
 
同じ物を見てたって
同じようには見えてはいない
 
十人十色
 
僕は僕の言葉で話すから
 
君の言葉で
君の話を聞かせてほしい

骨と皮

昔から
健康診断では
痩せすぎ と言われる
 
子供の頃は
「もっとご飯を食べて太りなさい」と
よく言われたものである
骨と皮しかないと
 
そんな風に言われ続けると
それはある種の呪いとなって心に染み込み
人前で肌を露出することに
酷い抵抗を感じることとなった
コンプレックスというやつだ
 
大人になって出会った
ある人に言われた一言がきっかけで
その呪いは解けたが
随分と長い間苦しんだ
 
言葉には魔力が宿る
 
支配とコントロールのために
言葉を使うクズもいれば
心を解き放つ
相手を自由にする言葉を使う人もいる
 
ブログのタイトルを何にしようか悩んでた
出るものがそのまま出たような
飾らないものがいいなと思ってた
 
ついつい、筋肉を盛り付けて
見栄え良くしたくなるけど
骨と皮
それだけでいい